パチンコ 日本のギャンブル

パチンコの発祥と第一次普及

1925年頃に欧米から輸入されたウォールマシーンなどが日本で独自に改良されていったものが現在のパチンコの原型と言われています。1930年に第一号店が名古屋で開業されると、パチンコ屋は次々と全国各地に浸透していきました。しかし、1942年、戦時中にパチンコは不要不急産業として全面禁止となり、パチンコ店は全店閉店され、台は処分されてしまいます。

戦後、パチンコ産業の復興

1946年、終戦により、農村部に残っていた台を利用してパチンコは復活しました。そしてその2年後には現在のパチンコ台の基本となっている画期的な釘配列「正村ゲージ」が発明されました。それまでのバラ釘と呼ばれる釘配列の間を玉がコトコトと落ちていくパチンコ機が一変し、スリルと意外性が増したことによって遊びとして格段に面白くなった結果、第一次パチンコブームが生み出され、全国に毎年何百件とパチンコ屋が開業していきました。浮き沈みはあるものの、こうしてパチンコは現在の普及状況に至っています。

パチンコは日本が生み出した独自ギャンブル

パチンコ台を海外で見つけることは一部を除いてほとんどありません。長時間椅子に座って黙々と打ち続けるスタイルが日本人の真面目な国民性に合っている、と考える人もいます。海外でパチンコと対をなすものは、スロットゲームだと言えるでしょう。カジノのスロットはお金を入れてボタンを押すだけで、初心者でも簡単に遊ぶことができます。パチスロのような目押しも必要ありません。